【出典】
「文楽の研究」(三宅周太郎著)上の巻文楽物語
その3-1義太夫武勇伝
P1160425

当時としては珍しい恋愛家だった三代目越路太夫。
色恋沙汰が過ぎて師匠である摂津大掾から何度も破門されるほどだったようです。

そんな越路太夫、ある時、大阪の芸妓と恋に落ち
周囲にやいやい言われるので、手に手をとって明石の浜へ。

そこで二人一緒に崖から海に飛び込み心中しようとした瞬間

「あっ、忘れてゐた。今は丁度わしの床へ上がる時間や。」

と、越路太夫は叫び、恋人の芸妓がびっくりしているのにも構わず
そそくさと駅に向かい汽車に乗り

「役をすましてから来ます。」

と、言うて一人で大阪へ。

心中はおじゃんになりました。

その後、芸妓さんがどないなったかはわかりませんが
こんな心中未遂があったと言うお話です。

三代目越路太夫と言えば明治大正の大名人。
こんな武勇伝(なのか?)が残っているというのは面白い。

恋と文楽 追い詰められて、ギリギリ決着のところで
太夫は文楽を取ったということになりましょう。
(そう解釈しておきます(*´ω`*))

三代目竹本越路大夫(wikiより転載)

(慶応元年10月6日(1865年11月23日) - 大正13年(1924年)3月18日)
本名:貴田常次郎。

和泉国(泉州堺市甲斐町)生まれ、8歳で女流の鶴澤由松、
10歳で豊澤團七に師事、この頃は小常太夫といった。
1878年に2代目越路大夫に入門し幼名を竹本常子太夫という。
1889年3月に竹本さの太夫と改名。
1898年3月に6代目竹本文字太夫に改名。
1903年に「長局」で3代目越路大夫を襲名、
1915年、文楽座の紋下となる。
「太十」「勘助内」などを得意とした。

文楽の研究 (岩波文庫)
三宅 周太郎
岩波書店
2005-08-19