【出典】
「文楽の研究」(三宅周太郎著)「文楽の研究」(三宅周太郎著)
中の巻・文楽人形物語並びに終戦後の文楽その2-1、人形遣ひさまざま。

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玉造さん第二の喧嘩は2代目豊沢団平さんとのものです。

団平さんは有吉佐和子「一の糸」の清太郎さんのモデルになった
お三味線のお師匠さん。ある時、志渡寺の総稽古で団平さんが
ちょいと気の抜ける事をなさり、それに玉造さんが怒って
「エエ加減にせい」と怒鳴ったのが喧嘩の発端です。

次の興行「義経千本櫻」で玉造さんが権太を遣った時

 -その首桶を持っては入る「是忘れては」-

ここの弾き方を打ち合わせしたいと、団平さんから玉造さんに
申し入れますが、先の一件から団平さんを心良う思うてなかった
玉造さんは

「どうにでも弾いてくれ、自分のほうから乗っていく」

と、答えます。

そして迎えた初日、そんな玉造さんの態度を腹に据えかねた団平さんは
腕に力を入れて引き立てます。玉造さんも言うた手前、外してはならんと
精神込めて遣います。この二人の力比べ(芸のぶつかり合い)に攻められ
長門太夫は玉の汗を流して語り、力を込めて遣った玉造さんの腹帯は
途中でブツっと切れてしまいます。

終演後、玉造さんは

「さすがは団平、俺ほどの気力がなければ腹帯の代わりに腸が捻れたやろ」

と、言うたそうです。

そして団平さんからは

「悪う思うて下さるな」

との伝言があり、それを聞いた玉造さんはわっと声を上げて泣き出し、
子どものように感激して「団平さん」とその名を呼び続けたということです。

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筆者はこれを「喧嘩」として紹介しています。

確かにそうかもしれんけど、それ以上に凄みのある話しやとウチは思います。
この時の文楽を聴いて、見ていはったお客さんはさぞ疲れはったでしょうが、
一生に一度あるかないかの経験やったんではないでしょうか。

ちょっと羨ましい感じです(*´ω`*)


文楽の研究 (岩波文庫)
三宅 周太郎
岩波書店
2005-08-19