傾城壬生大念佛(上の巻の上)(4)
凡例:■赤文字=原文 ■黒文字=現代語ふう

彦六は桶取の面取り、女の姿にて歸るを、大藏見てこりやまて/\、腰元ならば姫と一所に奥へ行はづよ、一人表へかへるは合點がいかぬ、名は何と云ふ、私は彦六、何女の名に彦六とは、いや彦六が女房でござります、 大藏聞、彦六が女房なれば歸さぬと、鎗おつ取突かくれば、継母は先殺しやんな/\、

彦六は桶取の面を外し女の姿で帰ろうとする。それを見て大蔵が呼び止めた。

「おい待て。腰元なら姫と一緒に奥へ行くはずだ。一人表へ(部屋の外へ)帰って行くのは合点が行かぬ。名は何と言う。」

「私は彦六―」

「何、女の名に彦六だと。」

「いえ、彦六の女房でございます。」

彦六は慌てて誤魔化す。

「ならば帰さぬ。」

大蔵が槍で突こうとするのを智量院が止めた。

「まだ殺しやるな。」


是は迷惑な、何の咎有てかやうにはなされます、されば徒侍の内に三宅彦六といふ奴が、我々が事を惡さまにいひ、姫へ入性根すると聞た、なんの左様な事がござりませふぞ、彦六は待侍なれば、お姫様の側へよる事も成ませぬ、

「いったい私が何をしたというのでございましょう。なぜこのような事をなさるのです。」

「徒侍の三宅彦六が、俺と姉上のことを悪く言い、姫に入知恵をしていると聞いた。」

「そんなこと、あるわけがございません。彦六は徒侍、お姫様のお側へ近寄ることすら出来ないのですから。」


いやさ彦六といふ奴は、先徒(まずかち)奉公(ぼうこう)などする奴でない、松山におゐては、鎗をつかせ乘(のり)替(かへ)の一疋(いちひき)もひかせた、れき/\の侍であつたれ共、其(その)身(み)が惡(あく)性(しょう)で主(しゅ)の娘と不義密通をし、國を立のき民彌が屋敷に居る時、是へかけこみ頼みしゆへ、かくまひ命を助し、民彌に其(その)恩(おん)をうけしゆへ、わざと徒侍に成て居て夜る/\瑠璃姫が室へ行き相談をする、其上瑠璃姫と密通して居ると聞た、ついに目見えをせぬゆへ顔は見知らぬ、様子をまつすぐにいへ、

「いや、彦六という奴は徒奉公などする奴ではない(身分の低い侍ではない)。松山では槍を持ち(主人の)乗替の馬を引く歴々の侍であった。しかし性質(たち)が悪く、主(あるじ)の娘と不義密通をし、国から追い出されたのだ。そしてその頃、まだ屋敷に居た民彌の元へ駆け込み、頼み込んで、匿われ、命を助けられた。その恩があるから、夜な夜な瑠璃姫の部屋へ行き、相談をしておる。その上、姫と密通しておるとも聞く。会ったことは無いから顔は知らぬ。今はどんな様子か、正直に言え。」


私は去年から彦六と夫婦に成ました、扨は彦六には國に女房がござりますよな、其上お姫様共密通とや、扨腹立や/\、人中へ出る人じゃと思ひまして、着る物の洗濯も、さつは/\として着せましたに、私とは只中が惡ふござんして、いねがしの様に計りいたします、今思ひ當りました、左様な事とは存ませず、今朝いさかひまして、暇を取て参りました、憎いやつの喰付(くひつい)て成り共、此恨(このうらみ)をいはねばおかぬと腹を立れば、

「私は去年から彦六と夫婦になりました。さては、彦六は国に女房がいたのですね。その上、お姫様とも不義密通をしているなんて。なんて腹の立つことでしょう。人前へ出るお仕事だと思って、着る物も洗濯し、さっぱりと着せておりましたのに。ただ私とは仲が悪うございましてね。『何処かへ行ってしまえ』というようにばかりされていたのです。今、分かりました。そんな事情があったとは知る由もなく。今朝、喧嘩をして暇を取って参りました。なんて憎い人でしょう。噛み付いてでも、この恨みを言わずにおくものですか。」

彦六は腹立たしげにしてみせる。


扨は夫と縁を切たか、すれば彦六を殺しても根には思はぬか、どうぞころしたふ思ひます、むゝ姉じや人是は幸じや、ない/\の事を此女を入談合せふ、やい女大事の事じゃ、此事をしおふするとよい男をもたし、樂々に暮させふが頼まるゝか、何事成り共承りませふ、

「さては夫と縁を切ったか。ならば彦六を殺しても恨みには思わぬか。」

「どうぞ。私も(夫を)殺しとうございます。」

「姉上、これは好都合だ。我らだけの企みに、この女も入れて策を固めよう。おい女、大事な計画がある。これをやり遂げたなら、良い男に娶せ、楽に暮らせるようにしてやるが、頼まれてくれるか。」

「何なりと。お手伝いいたしましょう。」


然らば姉じや人は瑠璃姫に、ひたすら地藏様を拜ませよとの給はゞ、是非なふ藏を開るであらふ、所を某藏の内にて瑠璃姫を突殺す、其時そちがいはふは、なふ悲しやこちの彦六殿が、姫君を殺し立退たとよばはれ、其時某罷(そのときそれがしまかり)出(いで)、彦六は姫が敵じやといふて、引出し首をうたふ、瑠璃姫彦六を殺せば、此家は身が物、時にはそちを身が女房にして、安樂に暮させふが、なんと頼まれてくれまいか、

「ならば姉上は瑠璃姫に、ひたすら、地蔵様を拝ませてほしいと頼んでくれ。そして姫が仕方なく蔵を開けたところで、蔵の中で姫を突き殺す。その時お前は『なんて悲しいこと、私の夫、彦六殿が姫様を殺して逃げた』と声を出すのだ。すると俺が現れ、彦六は姫の敵だと言って引きずり出し首を討つ。瑠璃姫、彦六を殺せば、この家は俺のもの。そうなれば、お前を女房にして、楽な暮らしをさせてやるが、どうだ、頼まれてくれるか。」


何が扨心えました。していつの事でござります、則今夜の事じや、それは餘り急にござんす、最前お姫様といひぶんをなされました上で、地藏様を拜みたいと有ては御承引有まい、廿四日は地藏の御縁日なれば、それにことよせ仰られませ、いへば尤じや、今二三日の事なればそれ迄待たふ、然らば姉きは奥へ入、姫と中よふし給へ、やい女よ、そちは身が屋敷へ同道せふ、しばし待て居よと、侍引連皆奥へ入にける、

「もちろんですとも。心得ました。それで、いつなさいますか。」

「今夜だ。」

「それは余りに急でございます。先程、お姫様と言い争いをなさいましたのに、地蔵様を拝みたいと言ってもご承知なさらないでしょう。24日は地蔵様のご縁日ですから、それに事寄せて仰られませ。」

「確かに、尤もだな。どうせ2,3日の事だ。それまで待とう。姉上は奥へ行き、姫と仲良くしてくれ。お前は俺の屋敷へ連れて行く。(ここで)少し待っていよ。」

大蔵はそう言うと、智量院とともに、侍を引き連れ奥へと入って行った。