傾城壬生大念佛(上の巻の上)(5)
凡例:■赤文字=原文 ■黒文字=現代語ふう

彦六は只一人殘り居て、女の鬘取り、小袖ぬぎ捨て大小さし、思はずも女の體にて有しゆへ、一大事を見付た、某事は民彌殿に恩を深ふ蒙むつた故、民彌殿屋敷を出給ふ時、是非供をせふと申たれば、心ざしは過分なが、一人の妹を屋敷に残し置は、其方は是にとゞまり、瑠璃姫が身の上に大事があらば頼むと有一(あるいち)言(ごん)ゆへ、わざと徒侍と成り、夜々姫君の御室へ行、諸事の談合をなすに、身が彦六が女房じやといふたれば誠にして、企のしなを皆いふた、是ひとへに地藏薩?のおかげ、扨々恐ろしい企や、何とした物であらふと、思案する所へ、

一人残された彦六は、女の鬘を外し、小袖を脱ぎ捨て腰に大小(刀)を挿し思案する。

「女の姿をしていたせいで、思いがけず一大事を見付けた。俺は民彌様に大変なご恩をいただいたから、民彌様が屋敷を出られる時、ぜひ供をさせてほしいと申し出たんだ。しかし民彌様はおっしゃった。志は嬉しいが、1人の妹を屋敷に残して行くから、ここに留まり、瑠璃姫の身に大事があれば頼むと。だから俺はわざと徒侍になり、夜な夜な姫様のお部屋へ行き、様々な物事について話し合っている、にも関わらず、(大蔵は)俺が彦六の女房だと言ったのを本気にして奴らの計画を全部話した。これもひとえに地蔵菩薩のおかげだ(加護だ)。それにしても恐ろしいことを企んでいる。いったいどうしたものか。」


瑠璃姫出、なふ彦六、今母様の奥へござつて、先程のは悪かつたとおつしゃる、あの御心なれば御ぢよさいはないとあれば、扨々おまへは結構な御心じゃ、私は桶取の女の姿で居ましたれば詮議にあひ、彦六が女房じゃが、暇を取たと申たれば、談合に入り申すには、無理に地藏菩薩を拜まふと云て、こなたの藏へ取に入給ふと、叔父の大藏が捉へ、こなたくつと突き殺す、時に私には彦六が姫を殺したとよばはれ、其上で彦六も殺すとの相談じやといへば、

そこへ瑠璃姫がやって来た。

「ねえ彦六。今、お母様が奥へいらして、先程のことは悪かったと仰って下さったの。そんなお気持ちでいらっしゃるなら、何も心配は無いわよね。」

「まったく、姫様は素直な良いお心をお持ちだ。さっき私は桶取の女の姿でいたとき、大蔵に何者か問い詰められました。彦六の女房だが暇を取ったと言うと、奴らは企てを話し協力を持ちかけてきたのです。(姫に対して)無理やり自分たちに地蔵菩薩を拝ませるよう仕向け、姫が蔵に(地蔵様を)取りに入ったところで、大蔵が姫を突き殺す、そして私が、彦六が姫を殺したと声を上げれば、彦六も引きずり出して殺すが、手伝うかと。」


なふ悲しや何とせふ、最早家中も一味であらう、死るを覺悟したがよいと、ふるひ/\ 南無阿彌陀佛との給へば、

「なんですって。なんて悲しいことなの。もう家中の者も叔父様たちの味方なんだわ。私たちは殺されてしまうのね。」

彦六の話しを聞いた瑠璃姫は恐怖に震え南無阿弥陀仏を唱えている。


是はやくたいもない、今夜ではない、廿四日の事に延しておいた、たとへ一家中が一味しても、此彦六が居るからは氣遣はさつしやるな、何をいやるぞなんぼわがみが強ふても、大勢と一人してはかなはぬぞ、死ぬると云に違はないとふるひ給へば、先廿四日迄此屋敷には居ませぬ、今夜の内にこなたを連てのきまする、おゝよい思案じゃ、さあそんなら今退きませふと、ちよこ/\走りして出給へは、

「そんな事なさいますな(しなくていい)。今夜ではありません。事は24日迄引き延ばしておきました。たとえ一家中が大蔵たちの味方となっても、この彦六がいるからはご安心下さい。」

「何を言ってるの。どれだけあなたが強くても、大勢が相手では敵わないわ。死んじゃうに決まってる。」

姫の震えは止まらない。

「まず24日まで、この屋敷には居りません。今夜のうちに姫様をお連れしてここを出ます。」

「まあ、それは良い考えね。じゃあ今すぐ出て行きましょう。」

彦六が策を話すと姫はすぐさまちょこちょこと走り出す。


今退ては番の者が咎める、扨御寶の地藏様を藏より出し給へ、いや藏にはござらぬ、どこへやらしやつた、されば叔父御が念がけさつしやるやる故、取出してあの地藏様へつくり籠て置ました、でけました/\、然らば晩に、九つの太鼓がならば、 地藏様を護りまして、あな門へ出てござれ、おれが迎ひに來まするぞ、それ迄人にさとられぬ様に、三味線や琴でも彈いて慰んてござれと、云合立歸れば、姫は奥へ入給ふ、

「今外に出ては門番が咎めます。まずはお宝の地蔵様を蔵からお出し下さい。」

「蔵には無いわ。」

「どこへ持っていかれたのです。」

「叔父様がご自分のものになさろうと狙っていらっしゃるから、蔵から出して、あの地蔵様(左門右門が運んできた地蔵)を作り中に隠したの。」

「それはいい。上手くなさいました。では今夜、九つ(0時)の太鼓が鳴ったら、地蔵様を大事に持ち、穴門から出て下さい。私が迎えに参ります。それまでは誰にも悟られぬよう、三味線や琴でも弾いて、気分を紛らわせておいでなさい。」

こうして脱出の手はずを合わせると、彦六は屋敷の外へ、姫は奥へと入っていった。