カテゴリ: 文楽

2023年12月10日は大阪大学中之島芸術センターへ。
連続講座「文楽の制作 日本の古典芸能における制作の役割と意義」へ伺いました。

▼案内リーフレット
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面白かったです。
後藤静夫先生のお話、とても興味深く伺いました。

文楽に限らんのでしょうが、芸事、エンタテイメントの制作というのは、
目には見えない、外部からコントロールできない様々なもの・ことを調整し、
落とし所を見付けた上で、公演ができるように組み立てていく、
繊細でタフな職人技やなあと思わされたことでした。

「演る人によって段の重さが変わる」というお話は
個人の技量が重要な意味を持つエンタテイメントならではやなと。
その場面の作品上の重さと、公演上の重さは違うわけで。

その都度ポイントが変わる(目には見えない、数値化出来ない物事に
左右されて変わってしまう)業務を誰にでもできるように、または
機械や人工知能にできるようにシステム化するのは難しそうです。

講座は2回連続の構成でしたが、1回目は都合にて参加が叶わず。
2回目のみの参加にも関わらず、事前に1回目の内容が把握できるよう
情報をいただけて嬉しかったです。

わたくしにとっては、とても良い講座でした。
後藤先生、細田先生、薗田先生、ありがとうございました。
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原版:文久3年(1863)大阪建設史夜話附図
大阪市立図書館デジタルアーカイブ
管理番号 r1015001 書誌ID 0012107732

大阪大学中之島芸術センターの玄関ホール壁面には
大坂中心部の古地図、拡大版が飾られています。
すごく大きいから橋の名前とか通り名とか全部読める。
近松作品の主人公たちが歩いた道がとてもよくわかります。
これを見るだけでも行く価値あり。
ご興味のある方はぜひお運び下さい。
素敵なカフェもありますよ(*´ω`*) 




令和5年11月文楽公演「冥途の飛脚」の非公式リーフレットをこさえました。

冥途の飛脚 上之巻 淡路町の段 羽織落とし
PDFファイル(A4)はこちらからご覧いただけます。


良い文楽になりますように(^人^)





※この情報は100パーセント遊び、シャレです。
 そんな見方もあるんかと笑って下さい。

【関連記事(本ブログ内の別エントリーにリンク)】
[妹背山婦女庭訓] 道行恋苧環での移動距離、所要時間を推測する

道行恋苧環の詞章は下記3パーツで構成されています。
(あくまでもざっくり分類)

1.求馬と橘姫のやりとり
2.お三輪と橘姫のキャットファイト
3.3人が入り乱れて踊る

このパーツ「3」にはお歌があって
詞章も曲も振り付けも、それはそれは華やかで美しい。
ここには早春から夏にかけてのお花が沢山歌いこまれています。
そして歌の後に秋の草花が表現される。

恋の始まりから実りへの推移を表現したものでしょうか。
色彩も豊かで素敵です。
この色合いを、陰陽の五色に当てはめてみました。

五色の短冊

なんとなーく
七夕の夜、踊る3人(児の手柏、荻と萩)の頭上にひらめく
五色の短冊をイメージできそうな気がせんでもない。

花と短冊、その両方として解釈するのであれば
絵面として、とても美しいものになります。
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こんな感じ。
お三輪ちゃんは白い苧環の糸を求馬につける。
求馬は橘姫に赤い苧環の糸をつける。

橘姫は萩と解釈しました。
求馬は児の手柏(青)ですが、花は男郎花(白)なので、
ここで既に橘姫と同色ということが示唆されていると読みたいかなと

この詞章によって完成された舞台で
まるで苧環が回るように、糸が絡まるように
3人がくるくると動き、回り、踊る。

美しい(人´∀`).☆.。.:*・゚

ついでに五行の法則に当てはめてみたのですが
これに関してはちょっと違うな、という感じ。
そこまでは考える必要もないかなと。

現場からは以上です。


【関連記事(本ブログ内の別エントリーにリンク)】
金殿の段 相関図
[妹背山婦女庭訓] 道行恋苧環での移動距離、所要時間を推測する
[勝手にこさえる]令和5年 夏休み文楽特別公演「妹背山婦女庭訓 四段目」非公式 リーフレット
【床本】
道行恋苧環 床本(PDF)




令和5年 夏休み文楽特別公演「妹背山婦女庭訓 四段目」のリーフレットをこさえました。

四の中 鱶七使者
PDFファイル(A4)はこちらからご覧いただけます。
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絵師:豊国
所蔵:東京都立中央図書館 管理No. M238-018-03 

床本該当箇所
「妹背山婦女庭訓 四の中 鱶七使者段」大阪市立図書館デジタルアーカイブ
原版:出版年不明
所蔵:大阪市立図書館 管理番号 23940010


四の切 竹に雀
PDFファイル(A4)はこちらからご覧いただけます。

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絵師:国貞
所蔵:立命館ARC 

床本該当箇所
「妹背山婦女庭訓」大阪市立図書館デジタルアーカイブ
原版:1929(昭和4)
所蔵:大阪市立図書館 管理番号 23940010



夏の文楽 は7月22日~8月13日まで(8月1日休演)。
待ち遠しいことです。
良い文楽になりますように(^人^)



お千代半兵衛の死装束がなんで黄八丈なんかと思うて
その理由を考えてみました。
※この情報はわたくしの勝手な思い込みです。
 本作品については原作をあたっていないので、原作内に記述があればごめんやで
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ARC浮世絵ポータルデータベース
原版:寛政10年(1798)頃 絵師:歌麿 所蔵:MFA_Boston

宵闇に浮かび上がる毛氈の赤、黄八丈の長着に血飛沫というのは、
舞台美術として、とてもインパクトがありますが、
これは半兵衛が武士として、この装束を纏い、この世を後にした
ということを示すものかと思います。

黄八丈はもともと八丈島だけで織られていたもので、
江戸時代に入ってからは年貢として収められるようになったそうです。
そのため、当時、それを入手できたのは将軍家や、
力のあるお武家様だけやったんやないでしょうか。

半兵衛実家の力はわかりませんが、
息子が八百屋の養子になる程度ですから知れている。
おそらくは仕えていた大名から何らかの理由で賜ったものでしょう。

それを半兵衛はずっと脇差しと共に隠し持っていた。
そして最期の時にお千代と2人、
身に纏ったということになりましょう。

この悲しい物語、心中に向かう経緯は、
半兵衛がお武家さん出身やったということが
重要なトリガーやと思います。
武士である誇り、というか出自への想い、というか、
その辺は浄瑠璃の中で語られていますが、
最期の装束でダメ押ししたなあと。

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ARC浮世絵ポータルデータベース
原版:明治19(1886)頃 絵師:芳年 
所蔵: 国立音楽大学附属図書館(竹内文庫)


なお、黄八丈が庶民に間で着られるようになったのは
人形浄瑠璃「恋娘昔八丈」の大ヒット以降とのことです。

心中宵庚申の上演から半世紀を経て、
恋娘昔八丈で、その衣装の美しさが大衆に受け、
トレンディファッションになった
ということになりましょう。

現場からは以上です。





お千代と半兵衛が、どんなふうに庚申参りの人の波に紛れて
生国魂さんの勧進所へ向かったのか、古地図を使って
移動ルートを考えてみました。
※この情報は100パーセント遊び、シャレです。
 本作品については原作をあたっていないので、
 原作内にルートが明記されれたらごめんやで。


*******************************************************************

■事件が起きた日

旧暦1722年4月5日(新暦1722年5月19日) 
壬寅年 己未(庚申の前日) 友引 月齢3.8 

参考サイト 
旧暦月齢六曜二十四節気雑節カレンダー
新暦・旧暦変換

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■凡例
赤ライン:お千代&半兵衛の辿った道
黄ライン:庚申参りの人の道

■1749年の大坂地図から推測するルート

大阪新靭油掛町の半兵衛の店から東に向かい
→相生橋を渡り
→西横堀沿いを南下
→道頓堀の手前で東に折れ
→大黒橋を南に渡り
→道頓堀南側を東へ向かい
→瓦屋町あたりで南に折れ
→生国魂さんの勧進所へ

道頓堀の喧騒を抜けたあたりで
谷町筋に向かう人の波をすっと抜け出して
生国魂さんに向かった、みたいな感じになりましょうか。

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■2022年のGoogleマップにあてはめてみる

靭会館から東に向かい
→靱公園前交差点で四ツ橋を南下
→道頓堀の手前で東に折れ
→大黒橋を南に渡り
→道頓堀南側を東へ向かい
→瓦屋町あたりで南に折れ
→生国魂さんへ

■Googleマップが計測した距離と時間から実際の距離と時間を推測する

Googleマップの計測値
3.8km  51min

この距離に係数1.2を乗じて
道行きの距離を≒4.5kmと仮定。

お千代は身重なこと
庚申参りで人の波はゆっくりやったと想定し
1km を 25min で歩いたとすれば

4.5km X 25min =112.5min 

道行きの所要時間は2時間くらいとなりましょうか。


午後6時に店を締めてから抜け出して
午後8時ころ生国魂さんの勧進所にたどり着く。
遠くに聞こえる庚申参りのざわめきの中、
夫婦と赤子3人が迎えた最期を静かに見守る三日月と生国魂さん。
何も悪いことしてへんのになあ。
悲しいことでありました。



妹背山婦女庭訓、道行恋苧環での移動距離、所要時間、各ポイントでの時刻を
Googleマップを使って推測してみました。
※この情報は100パーセント遊び、シャレです。
 そんな見方もあるんかと笑って下さい。


【関連記事(本ブログ内の別エントリーにリンク)】
金殿の段 相関図
妹背山婦女庭訓 道行恋苧環の詞章に描き出されてるかもしれない五色の短冊
[勝手にこさえる]令和5年 夏休み文楽特別公演「妹背山婦女庭訓 四段目」非公式 リーフレット
【床本】
道行恋苧環 床本(PDF)

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▼前提条件

道行きのルートと各ポイントでの時間帯

1.杉酒屋(三輪山 大神神社 大鳥居)を
  3人が
  七夕の夜に出発

2.石上神宮(いそのかみじんぐう)
  求馬を巡り、橘姫VSお三輪のキャットファイト
  終了時刻 夜明けの鐘(午前4:00と推定)

3.金殿に(奈良公園あたり)
  橘姫が
  朝露に濡れて戻る

時期
※舞台が大化の改新なので650年と想定

旧暦 650年 7月7日
新暦 650年 8月9日(月曜日)

2022年現在の距離並びに所要時間
by Googlemap 2022年10月6日現在

道行きの総距離≒ 19.2 キロメートル (19,200メートル)
徒歩での所要時間 ≒ 4時間2分(242分)

▼算出

各ポイントごとの距離並びに所要時間

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大神神社 大鳥居 → 石上神宮
距離 8.6km
所要時間1時間47分

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石上神宮 → 奈良公園 
距離 10.7km
所要時間 2時間15分

西暦650年頃に、この道行きで、かかったと思われる時間
(※キャットファイトタイム含む)

標高差もありますし、当時の道はかなり険しかったと思うので
実際にかかった時間は、この数値の1.5倍くらいになると仮定して
Google mapの数値に1.5を乗じます。

1.大神神社大鳥居→石上神宮

 所要時間1時間47分 *1.5 
 =2時間40分 (160.5分 ※ 0.5切り落とし)

2.石上神宮→奈良公園 

 所要時間 2時間15分  *1.5 
 =3時間20分(200分)


上記1、2に石上神宮でのキャットファイトタイムとして2時間プラスします。

  160 + 200 = 360 + 120 = 480 min = 8hrs

道行きの時間はトータルで8時間くらいかな。
ここから各ポイントでの時刻を考えると下記のようになりましょうか。

道行き各ポイントでの時刻
※凡例:旧暦(新暦)

・杉酒屋 7月7日 (8/9)  23:15 (Departure)

・石上神宮 7月8日 (8/10)  02:00 - 04:00 (Catfight time)

・金殿 7月8日 (8/10)  7:20 (Arrival)


以上です。
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妹背山婦女庭訓は登場人物の立場や舞台など、
様々なものが対照的に配置されています。

後半部ですと、
酒屋のいとはん VS 貴族のおひいさん
在所 VS 大都会

などですね。

この道行きは、三輪の田舎から大都会の三笠山御殿へと
舞台を転換させる、盆回しのような役割もあるのやないかと思います。
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舞台では、盆やなしに、苧環が回る。
登場人物は、まるで苧環のようにくるくる周り、また
まるで運命の糸が絡まるように八の字を描いて動きながら
舞台を転換させる。

御殿では、お三輪と橘姫の対照的な運命が描き出されます。
詳細は劇場でご覧下さいませ(*´ω`*)




令和4年11月文楽公演「心中宵庚申」の非公式リーフレットをこさえました。

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使っている画像は下記です。

背景
Cleveland Museum of Art
Hanging scroll/ink and color on paper
Painting only: 69.5 x 29.3 cm
Including mounting: 146.7 x 32.1 cm 
James Albert & Mary Gardiner Ford Memorial Fund 1982.33

お千代半兵衛
ARC浮世絵ポータルデータベース
原版:寛政10年(1798)頃
絵師:歌麿
所蔵:MFA_Boston

秋の文楽 は11月5日~27日まで(16日休演)。
待ち遠しいことです。
良い文楽になりますように(^人^)




妹背山婦女庭訓「金殿の段」人物相関図を描きました。
写真の入ってるのがこの段の登場人物です。
PDFファイルはこちらからご覧いただけます。

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※お三輪と橘姫の台詞は道行き床本より

作品概要
題 名:妹背山婦女庭訓
舞 台:大化の改新
作 者:近松半二
初 演:明和8年(1771年)正月
初演座:大坂竹本座
分 類:時代物
構 成:全五段

四段目
杉酒屋
道行恋苧環
三笠山御殿(金殿)←金殿の段・相関図ココ
・鱶七上使
・姫戻り
・竹に雀(四段目の切)
・入鹿誅伐

あらすじ
妹背山婦女庭訓(文楽・歌舞伎とも)
独立行政法人日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー 

相関図参考文献
1)第131回文楽公演 平成25年7/8月プログラム・床本
2)第142回文楽公演 平成28年4月プログラム・床本

参考資料
国立国会図書館デジタルコレクション
妹背山婦女庭訓 解説「竹に雀の段」玉井清文堂編輯部編 昭和4年出版

大阪市立図書館デジタルアーカイブ

東京都立図書館デジタルアーカイブ
妹背山婦女庭訓浮世絵アーカイブ

大阪市立大学 上方文化講座2018 妹背山女庭訓 
竹に雀 デモンストレーション



床本
妹背山婦女庭訓(PDF)

※出典:ようこそ文楽へ-鶴澤八介メモリアル 「文楽」ホームページ

主な登場人物とかしら名
求馬(藤原淡海)   源太(げんだ)
お三輪        娘(むすめ)
橘姫         娘(むすめ)
漁師鱶七(金輪五郎) 文七(ぶんひち)
豆腐の御用      お福(おふく)
金殿の官女      端役(はやく)

※平成28年4月公演パンフレットから

豆腐の御用(※1)

床本内「豆腐の御用」の用語解説

「オヽお清所 を尋ねるなら。そこをこちらへかう廻って。そつちやの方をあちらへ取り、あちらの方をそちらへ取り。右の方へ這入つて左の方を真直ぐに、脇目もふらず滅多多矢鱈にずゞゞゞゞずつと行きや」

このお清所(おきよどころ)は、お台所の意味。

*******

【凡例】

印なし
元記事筆記 2019/02/09

印あり
追記(※1)2019/04/12 
大阪市大2019年度公開授業「大阪落語への招待」
第一回 2019/4/10 久堀裕朗先生のお話より




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