出典:「文楽の研究」(三宅周太郎著)中の巻
文楽人形物語並びに終戦後の文楽 
その2-6、文楽の或る話 

P2030143

【要約下記】

ウソかもしれんし、ここに書くのも憚られる事ですが
ちょっとぼかして曖昧に記そうと思います。

大隅太夫の奥方が、ある時ひょいと魔が差して
色の間違いを起こしはりました。

家の2階で奥方と間男が睦言をかわしていると
偶然、太夫がそれに気付いてしまいます。

元来が芸だけの方。
日常は無茶苦茶の限りを行ったと言われています。
無茶が過ぎて世の中に疎んじられたという話もあるほどです。

そんな太夫が奥方の間違いを知ってしもたらもう大変。

身体を震わせた太夫の形相はまるで鬼かヘビのごとく
すわ刃傷沙汰か!となりかけたその時、
ふと何かを思案し、結局何もせず事を納めます。

その後、お妻八郎兵衛の「鰻谷」(桜鍔恨鮫鞘)を語る事になった時
太夫は「よし」と頷きます。

いよいよ床に上がったその出来は素晴らしく、
異常な力と情感に圧倒された観客により、
改めて太夫の真価が見直されたほどでした。

太夫曰く

「俺の鰻谷はいいだろう。間男される八郎兵衛は俺でないと本当に語れないぜ」。

これを聞かされた近しい方々は、間男の一件を知るため、
思わずゾっとしてしまったとか。

大隅太夫は歴史に名を残した、天才とも呼べる人ですが
そんな「異常」な方が「異常」な出来事に遭遇したからこそ
初めて傑作「鰻谷」は完成したと言えましょう。

もしかしたら義太夫とはこういうもんなんかもしれません。
そこまで深刻に考えたくはないですが。

とまれ、これはあくまでも「伝説」です。
ウソかホンマかわからぬ話、よそで言うたらあきまへん。

*****

桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)

鰻谷の段 切(床本)

桜鍔恨鮫鞘は安永2年(1773年)豊竹座上演、作者不詳
(出典:カラー文楽の魅力 吉永孝雄/三村幸一 昭和49年初版発行)
となっていますが、文楽の歴史(同書出典)では明和元年(1764年)
豊竹座退転となっています。

この辺の齟齬はどない解釈したらエエのでしょうか。ようわからんわ(;´∀`)


文楽の研究 (岩波文庫)
三宅 周太郎
岩波書店
2005-08-19